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沖縄在住の我謝政陸(Masataka Gaja)こと「がじゃろぐ」です。
あなたが死んだあとに残るものは、集めたモノではなくて、与えたモノです。あなたは誰かの生き方に影響を与えています。家族や子供たちや友人に、ただ言葉を交わす程度の人だって。それは、受け継がれていき、永遠に生き続けます。だからこそ今を精一杯に、そして恥ずかしくない生き方をしたいですよね
— がじゃろぐ|息子と遊ぶ (@Gajalog) December 8, 2021
収入源
・本業給与所得(40%)
・副業事業所得(60%)
自慢できること
・お酒飲めません
・タバコ吸ったことありません
・ギャンブルしたことありません
趣味
・バスケットボール
・ランニング
・DIY
好きなブランド
・NIKE
・Apple
・Alphabet
好きな海外ドラマ
・GREY‘S ANATOMY(グレイズ・アナトミー)
・The Vampire Diaries(ヴァンパイア・ダイアリーズ)
・ARROW(アロー)
好きな映画
・アベンジャーズ エンドゲーム
・ターミネーター2
・ジャスティスリーグ
好きな沖縄料理
・ゴーヤーチャンプルー
・豚中身イリチー
・じーまみとうふ
簡単にはこんな感じです。
ボクの住んでいる町
沖縄で生まれ育った、昭和53年生まれの現在43歳。
妻と、5歳の息子に恵まれ今も沖縄南部で生活しています。
ボクの住んでいる町はちょっとお散歩しただけでもこんな海が広がっているとても住みやすい町です。
北の方や、離島に行くともっともっと透明度の高い綺麗な海に出会えますよ。
沖縄が大好きすぎて、県外へ出ようと思ったことは一度もありません。
学生時代
小学生の頃、家に初めてきたBS衛星放送をたまたまつけて見たのが「NBA」でした。
ブルズ対キャブスの試合で、マイケル・ジョーダンが69点を取った試合が、人生で初めて見たNBAの試合です。
バスケなんて全く知らないガキンチョでしたが、テレビの中のマイケル・ジョーダンのひとつひとつの動きが「こんなの人間じゃない‼︎なんだこの人は⁉︎」とめちゃくちゃ興奮したのを覚えています。
以来ずっとブルズの試合が放送される日は親に頼んでビデオに録画していました。
通っていた小学校にはバスケクラブなんてなく、中学生に上がるまでバスケットの試合ができる環境なんて体育の時間しかありませんでしたよ。
今みたいにバスケットリングのある公園なんてありませんでしたからね。
DIYの得意な祖父にベランダにリングを作ってもらってシュート練習だけする日々でした。
高校卒業まで部活でバスケットは続け、社会人でもほんの少しやりましたが、とくにずば抜けているという選手にはなれませんでしたけどね。
今はケガをしないことだけは気をつけて、同世代のおじさん達とバスケしているくらいです。
学生時代はホントにバスケ漬けの日々でした。
社会人1年目
大学を卒業するタイミングで、高校の時のバスケ部の友人から一緒にバーをやらないか?と誘われました。
誘われた理由は、ボクがお酒を飲めないのでお金の管理と店長をやってほしいということでした。(オーナーは筋金入りの酒飲みです)
すでに県内の新聞社の内定も決まってて、他にも銀行員とか可能なら公務員でもいいな〜と就職についてはぼんやりとは考えていたのですが、1、2年そういう仕事も経験してからでいいかもなと思い、即答でやることになりました。
沖縄の中部にある北谷(ちゃたん)という町で、ミュージックバーをやることになりました。
ボク以外にも、働きたいという同じバスケ部の友人も誘い、内装から何から自分たちで24時間体制で1ヶ月ほどで仕上げていきました。
いざオープンしてみると、客層は外国人さんばかりで日本人といえばその外国人さん目当ての女性や、米軍基地内で働いている従業員さんばかりでしたね。
綺麗な女性ばかりが飲みにきてくれるだろうとウキウキして期待していたボクらは愕然としました。
マーケティングリサーチなんてしないで始めたのですから当然です。
営業内容は料金前払い制にしたり、外国人好みのお酒を揃えたりと日に日に変えていき、ボクらは英語も多少理解できるようになりましたよ。
ボクはDJも担当してて、選曲が基地内の黒人好みだったらしく、めっちゃイカついヒップホップな黒人海兵隊のお客様も増えていきました。
交友関係が一気に広がり、休みの日は米軍基地の中で外国人相手にバスケして、海に行って、夜は営業という毎日が2年ほど続きました。
ボクの人生を大きく変えた飲食業の世界
バーで働いて2年、稼いだお金は0でした。
毎日毎日稼いだお金はお客様に還元したり、遊びに使ってしまっていたり、たまらないどころか、マイナスだったんじゃないかな?
稼いだ分だけほとんどみんなで使っていましたからね。
これではいかんと思い、将来を考え拠点をオーナーの地元に移すことにしました。
沖縄に観光に来ると、みんな必ずきてくれる那覇の「国際通り」です。
念願の女性ばかりをターゲットにした居酒屋をオープンし、ボクはここで約15年働くことになります。
自分のキャラクターが確立し、さらに交友関係も広がり生きて行くために必要な大切なことを学び、マーケティングも勉強でき、そして最愛の妻と出会うことになるのです。
このお話はとてもなが〜くなるので、別の機会で紹介させていただきますね。
40歳からの副業ライフスタイルの始まり
飲食業界に15年いる間に、社会はだいぶ変わりましたね。
企業では終身雇用の崩壊と言われ、「副業」を認める大企業が現れはじめていました。
情報サイトでは、収入の柱はたくさんないと生きていけないだの、投資で貯蓄を増やしましょうだの、自己投資しなさいだの、しまいには老後までに2,000万円貯めましょうなんて。
ボクもこういう情報に踊らされたクチで、このまま拘束時間の長い飲食業界にいては収入の柱は増やせないと思い、まずは残業の少ない仕事に転職することにしました。
それが今も勤めているホームセンターです。
DIYが得意で大好きなこともあり、資材の担当を任されることになります。
そして副業を探しはじめたのですが、とりあえずパソコン1台で、カフェとかでオシャレにカタカタできる副業があればカッコいいな〜ということから、ネット上で完結する仕組みを調べて中古家電の販売を始めます。
今も稼ぎ続けていて、家電やガジェット、音響設備なんかも好きなので、リサーチも楽しくできるんですよね。
これが「好きなことを仕事にして稼ぐ」という感覚なのか〜と思いながらやっていますよ。
「読んでくれたあなたの人生が少しでもハッピーになる情報の発信」がコンセプトです
そして42歳になった今年、有名なブロガーさんやYouTuberさんの影響でブログを始めました。
ドメインとかサーバーとか何もわからないこのボクが、いよいよブログを始めてみると、文章を書くことに見事にハマってしまいました。
いつも何気なく読んでいたブログも「SEO対策」とか「キーワード選定」と言われるものが張り巡らされていることを知り、ますますモチベーションが上がりましたね。
ブログで稼げるなんてことも思いもしませんでしたよ。
「読んでくれたあなたの人生が少しでもハッピーになる情報の発信」をコンセプトに投稿していきますので、今後ともガジャログをよろしくお願いいたします。